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手を伸ばせば
2007年07月17日(火)11時27分
生きることに意味はない。
だが、生きることの意志はある。

意志があったのなら、生きた"価値"はあったと思う。

*

ふと、死んでみたいと思うとき、それは別に生体機能の停止や細胞の壊死を望んでいるわけじゃなくて
ただ、その場の空気に溶け込んでしまいたいと思っているだけだ。

*

潜在意識が僕を動かしている気がする。
潜在意識は果たして、"僕自身"なのだろうか。

[意]はっきりと自覚されてはいないが、心の奥で働いていて、その人の考えや行動などを左右する自我の活動。

はっきりと自覚してしまいたい。
沈んだ思考の果てで、追いかけても追いかけても
追いつきもせず、置いて行かれることもないから。

心の奥を覗き込んでしまいたい。
そうすればもっと、素直に言葉を操ることができるかもしれない。

潜在意識が僕の考えや行動を左右"している"のならば
果たしてそれは僕じゃないではないかと思う。

意識できぬそれが本当の自分自身だと言うのならば
人は一生涯かけても自分を探し切れずに死んでしまうんじゃないか。

*

ふと自問をしてみる。
返事がある。

あなたはだれ
――わたしだよ

ぼくののぞみはかなうか
――かなうよ

ほんとうに?
――ほんとうに。

否定の言葉を持たない、僕の中の"誰かという僕"
僕が所謂表なら、その僕という誰かは裏を担っているのだろうか。

追いかけても追いつかない
置いていかれもしない。

そんなもどかしい関係

桐哉君はどこにいるんだい
――ちゃんといるよ

ほんとうにまだいるの?
――きえてなんかないよ

あいたい
――かれはでてこれない

きっと、僕の問掛けの答えは
潜在意識や直感ではなくて、脳内にインプットされている何かしらの"結果"なんじゃないかな
すんなりと答えを受け取れるのも、疑わないのも、きっと潜在意識では解っているからなんだ。

メンタルブロックなんて、もう既に外してあるけど
外してしまったから、僕は下らない、しかも断片的な思考の渦に囚われる

ああ、また。

ハムナプトラ
2007年06月08日(金)00時47分
2が好きです。

床の割れ目にて、リック・オコーネルとイムホテップがどちらも同じ状態で死の危険に触れているシーン。
部屋は崩れ始め、天井からは絶えず岩や砂岩のつららが落下してくる危険な部屋。

今にも死者の手でそっちの世界に引き摺り込まれようとしている時、両者の妻(恋人)の愛が試される。
自らが危険をおかしても助けに行くべきか、行かないべきか。
リックは早く逃げろと叫んだが、妻は最初こそためらっていたけれど、すぐに身を踊らせた。
妻の手で引き上げられて助かったリックを見て、イムホテップは未だためらっている恋人のアナクスナムンを呼んだ。
「アナクスナムーン!」

けれどアナクスナムンは一歩を踏み出す事ができず、叫びながらその場から逃走。
イムホテップは目を見開いて、「アナクスナムン…」呟く。
そして、自ら、力の限り掴んでいた手を離した。

アナクスナムンが叫びながら逃走した時、絶望を見たイムホテップが何故"つい"手を離さなかったか。
人はうちひしがれる時、体の力が抜けるように思う。
脱力し、何もすることができなくなる。
なのに何故イムホテップは?と考えると、理由は「強い男だったから」と「見捨てられた事が信じられない(硬直状態)」が挙げられる。
僕は前者を信じたい。

敵役ではあるけれど、数千年前に自分が仕える王を殺してまでアナクスナムンを奪った程の愛。
イムホテップがメジャイ(神の戦士)に連行され、残されたアナクスナムンが来世での再会を信じ自害する程の愛。

確かに二人の間には愛があったのだろうが、じゃあ何故現世に生まれ変わって生きていたアナクスナムンがイムホテップを助けにいけなかったのか?
それは、愛よりも生への執着が勝ったからなのではと思う。

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人生で最も敬愛すべき…
2007年05月16日(水)00時36分
ロード・オブ・ザ・リングはかつて、映像化不可能と言わしめた超長編空想物語である。

その物語を、勇敢にも監督した彼の名はピーター・ジャクソン。

映画内に使われている遠近法や、撮影技術、気概、妥協のなさ。
どれをとっても超一級品だろうと、私は思っている。
アカデミー賞を11個、総ナメしたのも十分に理解できるもの。

作品についての善し悪しは、個人の感性によってまちまちだろうが。
現に、私の兄は「無駄にだらだらと長い映画」程度にしか認識していない。

タイトルにした、人生で最も敬愛すべき…とは。
その映画内で、アラゴルン役を演じたヴィゴ・モーテンセン。
私は彼を敬愛し、尊敬の念を抱く。
それは、ただ素晴らしいだけの俳優ではないから。

彼について書かれた文章を見ると、"まるで少年のような人だ"とよく見掛ける。
彼は何にでも興味を持ち、自分に素直に何にでも挑戦してゆく。

調べ、調べてゆくうちに彼の考え方や生き様に触れていく。
それが最近の私の日課で。
彼は、俳優であり、作詩家であり、ジャズミュージシャンであり。
画家であり、写真家であり、更には出版会社をも立ち上げたという、実に多趣味な人間だ。
その考え方や生き様に触れるたび、私は私の中身がよりクリアになってゆくのを感じる。

同じとは言い難いが、似たような"アート"の世界に身を置き、自己表現を経て自分を探してゆく行程に起きる物事に対する姿勢が、何故だか私と共通するものを感じるから。

私が映画界を目指す者として、彼が映画界に身を置く者として、心のどこかにある基本的概念が似ているのかもしれない。

だけど、私は彼とは正反対な生き方をしていると思ってしまって仕方がない。

彼と違い、私の基礎は"全てが投げやり"であるからだ。
彼は何にでも興味を持つ。
私はある程度関心を示すだけで発展を望まない。

彼はあらゆる事に積極的だ。
私は全ての事柄に対し、消極的だ。

相反している。
それ故に、私は彼に恋い焦がれ、敬愛しているだろうことも理解できる。

映画はただの娯楽ではない。
監督や俳優たちが、ストーリーの裏に作り上げた真意を汲み取ってこその映画。

近年彼が出演した、オーシャンオブファイアを見た。
ネイティブアメリカンの大量虐殺シーンから始まったそれは、非常にショッキングな内容だった。
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*心体不合致論*(旧機械仕掛)

いま、さみしいから、どうしてもきみに会えそうにない。
*心体不合致論*(旧機械仕掛)

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